作品作りとか処々


久しぶりに飲んできてぽわーっとしてるんですが、ま、その勢いでたまにはつらつらとエントリ。

なんか新宿から帰るとき乗り継ぎ2回ほど間違えて高幡不動と京八を往復しちゃったりして家まで2時間近くかかりました。いかんなぁ・・・。
さて、木曜になるんですが、今住んでるマンションの管理会社の計らいでクリーニングの業者の方に掃除とか電器変えてもらったりしてもらう。や、やっぱりプロにやってもらうと違うな、とか思おうと思ってたら、結構道具は普通なんですね。サンポールとか。出来れば強酸の錠剤みたいなのがあるんですが(実家で使ってた)そ言うのでごっそりこびりついた汚れとか取ってほしかったな、と、こんなことブログに書く話題じゃねぇや。

えーとまあ、でも換気扇とか綺麗になったのでありがとう。

で、昨日。ガッコの隙間時間が出来たので、図書館で調べ物しつつ、プロットを書き書き。今回はなるべく要素を絞って、序・破・急の三段構成というセオリーに則って頭の片隅にあったお話をアウトプット。他にいろいろ書いたファイルがあったはずなんだけど、どこやったかな・・・。去年のはあったけども。

なんにせよ、まだ詰めが甘いってのと、オチが弱いあたり、詰めないとなと思う。

やっぱり一から考えるってのは大変だねってのもあるし、でもそれが形になったときってのは、自分の糧になるんだろうな。そういうものを作りたい。もちろん人に見せて、意味のあるものであるって事も重要だと思うし。とりあえず私の傾向として、というか作るものに関してキャラクターの微妙な心情を微妙な動作で表現するってのがあって、そのあたり、どうわかりやすい表現をしようかって課題。能の表現について調べたり、いろいろ本をあたってみたり研究はしてるんですが、やっぱり実際のモノが上がってこなきゃ意味ないですね。夏までにお話まとまればいいんですが、もちっと突っ込んでみるか。

うん。

話微妙に変わりますが、この前久しぶりにFlipFlopの元データとか見たら、ヤバかった。まあそのときはいっぱいいっぱいってこともあったけど、うーん。キャラの動きとかは一発付けにしてはまあ、こんなものかなとも思うのだけど。次はちゃんと全身の演技もさせたい。

あと最近はいろいろと、映像コンテンツに関してどういう方向のビジネスが成功するのかなとか、ちょこちょこ考えたりしてます。いろいろ講義とか、話とか聞いて、今のところネット配信系はしばらく駄目だろという立場に。実際ネットや携帯でお金払ってコンテンツ見る人というのは全体で見たらどちらかというと特殊なケースに収まるのかな、とか。有料じゃないけど、Gyaoとかも、実際にどのくらい見られてるのかなというと、900万視聴者というのはないだろう。勘だけど、アクティブユーザーとしてはその0.5割もいれば良いほうで、あとは重複登録者とたまーに覗く程度のユーザーなんじゃないかな。なんか登録にクッキー使うってのがよくわからん。普及考えたら、あの登録は相当な壁のような気もする。なんでしばらくは多分、セル販売とTV放映って形が崩れることはないだろう、と。ほら、やっぱり簡単だし。

ネット配信が既存の流通体制を乗り越えることがあるとしたら、多分検索技術あたりを使った、ネット上の注目コンテンツの自動選別・配信システムみたいなものが出てきたときだろうか。これはネット上のコンテンツを自動的に選別して、一つのストリームとして、従来の「チャンネル」に相当するものを自動構成するもの。これならカンタンだし、垂れ流しでOKなので茶の間で寝そべりながらダラーっと見れる。あと、多チャンネルで視聴者が分散してマズーな状況とも切り離せれる。まあ、コンテンツ単位での勝負にはなってしまいますが。もちろん「TV」に直結で流せることが前提で、操作もリモコンで出来るとなおOK。自動構成されたチャンネルは検索技術によって選別されているので、たとえば、そういった個々のユーザーの嗜好に合わせて構成していくことも可能だと思うし、そこにアマゾンのお勧め商品とかあのシステムを組み込むといいかもしれない。アレは自分では気がつかない関連性から興味に沿うものを提示してくれてとっても親切で、これもラク、だ。(たまに余計なお世話だーってときもあるが) あのシステムはなかなか良く出来てるなと思う。最近盛んにロングテール理論とかって言ってそれがアマゾン等において成功しているのは、ソレも、このあたりのシステムが相当貢献してるんじゃないか。

でも仮にそういうシステムが出来たとしても、じゃあどうやって個々のコンテンツにお金を落としてもらうかという生きるか死ぬかの超重要課題も残るわけで、ソレが広告モデルに頼るってのは、正直どれだけ持つか、といったかんじで、何か新星のようなやりかたがばっと出てくればいいんですが、今後の課題ですかね。

と、まあ酔っ払いのたわごとなので、聞き流してくれると吉。

そういえば、今日はもう土曜日。

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“作品作りとか処々” への2件のフィードバック

  1. おひさ

    普通に就職する気を感じさせないテーマの論考ですね

    映像は 商業主義的プロパガンダという立場に依存しなければ
    これからもやはりやっていけないんだろうねぇ

    商業主義的プロパガンダに乗せられて買ったものって
    数日の間はなんかいい気分になるけど
    その後はほんとに必要なものでもなければ少し空っ風が吹くよねぇ

    と すこしだけ極論だけど

    っていうか何をかいてるんだろw

    またのもーねー

  2. おひさです~。

    >普通に就職する気を感じさせないテーマの論考ですね
    いやまぁ、必要だったらしますけどね(^^ゞ
    まあ、今のところはアカデミックに生きますよw

    >映像は 商業主義的プロパガンダという立場に依存しなければ
    >これからもやはりやっていけないんだろうねぇ
    そうですねぇ。やっぱり映像ってのは認識・解釈みたいなものを思考を介さず直接頭に叩き込めるメディアなわけで、やっていけないというより、コミュニケーションメディアとして一番利用価値が高いってのもある。まあ、
    依存といいますか、そういうものにお金を出す人は多いので、現時点で商業的に考えたときに、やっぱりその比率は高くなっちゃうわけです。
    ただ、機材的な敷居が低くなりつつある中で、それが個人の読み書きそろばん的に映像を作る流れが出来たときに、世の中どう変わるか考えるとゾクゾクするものはありますね。
    そういう時代が来るとすると、その中で飯を食っていこうと思ったら、やっぱり大変だろうなとも思うので、さて、どう立ち振る舞うかな、と。

    また飲みましょーネ~。